漫画は「商品」だということを忘れている漫画家があまりにも多すぎる

極黒のブリュンヒルデ最終回はあまりにも伏線投げっぱなしの酷過ぎる終わり方だったためこのブログでは酷評せざるを得なかった
極黒だけではなく例え円満終了だとしても伏線投げっぱなしの終わり方を迎える漫画は非常に多い
つまりは漫画は「商品」だということを忘れている漫画家があまりにも多すぎるということ。
このことに関してこの記事では強く批判したい

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商品として成立する漫画

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私がこの記事を書くきっかけとなった暗殺教室の作者松井優征先生のインタビュー記事。

一番重要なのは赤線を引いた「しっかりと終わらせることで次の作品へのお客さんの信用を確保したい」の部分。

確かに魔人探偵脳噛ネウロでほぼ全ての伏線を回収しきって見事に綺麗に完結させた彼ならば、暗殺教室もストーリーを盛り上げて尚且つ伏線を回収して読者が満足出来るように終わらせることが出来るだろうという安心感があった。

簡単に言えば「商品として成立する漫画」にしてくれるだろという安心感があった訳だ。

何故そんな普通なら思わない安心感を抱いたかというとそれが出来ていない漫画家があまりにも多すぎるから

商業漫画はお金を払って読まれるものだということ

例えば岡本倫先生の極黒のブリュンヒルデは1冊新品で555円。
18巻発行しているため全巻新品で単行本で買い集めると全部で9990円掛かる。
1万円あれば新品のゲームソフトが2本買えるし美味しいレストランにだって行けるし素敵なホテルにだって泊まれるお金だ。

そのお金を私たち読者は極黒のブリュンヒルデのために注いできた。
にも関わらず最後に待っていたのは商品として成立していない伏線投げっぱなしの終わり方だった。
勿論払ったお金はどんな結末になろうと返ってこない
他のことに使えるお金を払って読んできたのにこの終わり方には「おいおいふざけんなよ…金返せ!」と怒りと悲しみを抱いた。
当然きちんと完結させてくれたなら「金返せ」なんて勿論思わなかった。

商業漫画である以上漫画は作者の物だけではない

小学館が金色のガッシュの雷句誠先生や新條まゆ先生などを筆頭に漫画家を酷使し低待遇に扱った暴露話には腹が立ったし、売れるからといって作者の意向に反するようなことを無理矢理描かせるのは私的にはアウト。

だけどどんなに作者が満足できたとしても商業誌で連載している以上、漫画は読者が満足出来るもの描けなければ打ち切られてしまう残酷な現実がある

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ならば松井先生の言う通り読者はお金を払って漫画を読んでいてる訳でそれなら読者が求めるものを書くべきだったのでは?と思ってしまう。
自己満足で描いてる同人誌じゃないんだから。

その上で漫画は作者のモノであると同時にお金を払って読む「商品」でもあるのだからどの漫画家も打ち切りであっても読者が満足出来る終わり方をする努力をするべきだと思う。

松井優征先生は自分は天才ではないとは言ってはいるけれど「魔人探偵脳噛ネウロ」「暗殺教室」の2作品を見事に完結させてアニメ化した大成功漫画家。
暗殺教室だけでも2000万×単行本の値段×10%=9億以上を稼いだ普通の人ならば絶対に真似できないことを成し遂げた人間。
私は松井優征先生のことを漫画家として物凄く高く買っていて彼は天才漫画家だと常々思う。

だから彼のようにするのは難しいことだという自覚はある。
確かに暗殺教室やONE PIECEやNARUTOのような漫画は誰にでも描けるようなものじゃない。
けれど「打ち切りであっても商品として成立するように努力する」というのはどの漫画家でも出来ることだろう。

人に信頼される = ブランディング

ブランディングとは、ブランドに対する共感や信頼など顧客にとっての価値を高めていく企業と組織のマーケティング戦略の1つ。ブランディング – Wikipedia

このブログは超弱小の個人ブログで見ている人も少なくてブランディングと言える程立派なことはしてない。
けれど読者さんにも検索から来た一見さんにも失望させる記事にだけはしないように常に意識している。

そして更に言うとこのブログに向いている、もっと言うならこのブログを見ている人に合うことを書こうという意識はぶっちゃけかなりある。
それが見てくれている人への一種の「誠意」だと思うから。

弱小個人ブログの私ですらこう思っているんだから商業漫画家はもっと思うべき。

統括

やっぱり何回考えても漫画家には伏線を回収して完結させる義務があると思う。
だってどんなに読者が考えたところで作者が答えを言わなければ分からないことがあるから。
どんな漫画家であってもそれが出来なかったら漫画家としての実力が低い、と言われても仕方がない、というか言われるべきだと思う。
もっと言うと少年ジャンプのような激しい競争が行われる場所で連載をするのなら連載前から打ち切りパターンまで考えておくべき

もし打ち切りであっても見事に完結させることが出来たのならば、読者から批判されることも無いし、次回作だって大丈夫だろうと安心して応援出来るのだから、未来への信用という意味で考えても商品として成立する終わり方にするべきだと私は強く思う。

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コメント

  1. シュンイチ より:

    岡本先生が「商品」として成立する漫画を描いていないのは、第2部以降の話の展開や絵柄の変化からはっきりわかりますね..
    それでも自分は話の結末に期待して単行本を買って読んでいたので、余計に腹が立ちますw
    ところでこの記事を読んで思い出したのですが、確か極黒単行本の表紙めくったところの作者コメントに「読書からエルフェンリートのようにダークな作品を求められている」みたいに書いてありましたよね。
    作者はもしかしたら初期の頃は読者のことを意識して作品づくりをしていたのかもしれないですね。末期?になってからはそんなことはすっかり忘れたか、あるいは忘れたフリをしているんでしょうねきっと。

  2. シュンイチ より:

    読書ではなく、読者の間違いです。すみません。

  3. romarika より:

    >シュンイチさん
    コメントありがとうございます。
    極黒のブリュンヒルデは一部がどんなに良かろうと結果だけを見ると「商品」として成立してないです。
    二部では今は面白くなくてもきっと盛り返すだろうと期待してずっと追ってきたのでこの結末には本当に残念でたまりません…。
    1巻の単行本表紙裏に「お前のファンはエルフェンリートみたいな漫画を望んでいる」と断言されたと書いてありましたね。
    読者のことを全く意識していなかったとはとても考えられないので、打ち切り射程外になって安心して気が緩んで適当になっていったのかもしれません。
    漫画オタクの私の経験上そういう漫画家は結構少なくないです。

  4. より:

    極黒は、ある程度やりたい放題できるけど作品性質・芸風上において設定の効きの曖昧さユルさが許されない厳しい面がある…という状況下で、終着点につなげるために不可欠であるものが絞り切れてなかった。
    二部どころか 最初の時点で詰みになるような設定が入ってたりする上に、自身が普通じゃない(それゆえに読者も引きつけられる)キッツイ設定をどんどん課していくために、一緒に打開のカギとなるものを撒いたってもおっつかず終着点へつなげられない、過程が成り立たなかったようです。後になるに従ってそれが顕著になっていっただけ、一部は温められ練られていたネタがあるだけ良く見えたように思えます。
    筋がないとは言わない。しかしその筋は終着点まで通ってたものではない。引きつけられる物を出そう…読者の事を考えてはいるんですが、その次元の姿勢でしかなかったために商品として見る上ですら限界が出て来たって感じです。

  5. romarika より:

    >あさん
    コメントを見落としており今確認しました。
    申し訳ありません。
    伏線を出したからには明確に回収しなければならないんですよね…。
    ならば終着点に繋げるための要素は少ない方が良かったんでしょう。
    腐卵などは典型的な詰みになるような設定でしたね。
    一部の伏線回収は無理なかったですしどうして二部からあんなになってしまったのか不思議で仕方がありません。
    本当は色々と考えていたことがある…のでしょうか。
    1話の時点で筋が出来ていたのは読んで分かりますが最後まで、細かいとこまでは考えられてなかったと考えるのが妥当だと思います。
    読者のことを考えるならば伏線回収を優先すべきでした。